最近、家族のことで立て続けに悪いことがいくつか起こりました。
僕は、そのいくつかのことについて、「なぜあのようになったのか?」とか「なぜ防げなかったのか?」とかを毎日考えてます。
家族のことなので知らんぷりできず、四六時中それらについて何かしら考えてるわけです。
突き詰めて考えても、過ぎてしまったことはどうしようもないですし、次に同じことが起こるとは言えないのに。
僕が家族にアドバイス的なことを言うとウザがられるのはわかってるので、あくまでも自己満足のために考えてるだけなのですが。
考えついでに、セミリタイアしてる現在のことも考えてみました(^^)
セミリタイア(早期退職)は不幸か幸福か
セミリタイアを決行する前に思い描いたように上手くいかなかった人は、自分のことを不幸だと感じると思います。
僕はセミリタイアして約5年です。
現在、幸福か不幸かというと、どちらとも言えません。
理由は、家族に口座残高を見せて僕が再就職する必要は全然ないと伝えても、最近の物価高、電気代の高騰、子供の塾費用が原因で説得力がなくなってしまったから。
株投資をしてないにしても、お金のことは先の先まで考えて用意周到にしてるつもりなのですが、パートナーは「念には念を」とパートを始めてしまいました。
パートナーが仕事を始めるというセミリタイア前に予想してなかった展開になった今、家族を安心させることができない僕のセミリタイア生活の末路を感じざるを得ません。
敗北感、ハンパないです(T^T)
四半世紀以上勤めたブラック企業を辞め、セミリタイアして自由の身を謳歌してるつもりが、平安な生活だった主婦を仕事に追いやってしまった気がしてならないわけです。
僕がサラリーマンをしてたときは、不規則勤務&休みがまともにない生活のために、家族サービス無さすぎの日々でした。
なので、僕が会社を辞めた当時、所得が無くなった悲しみ以上に、家族は解放された感満載の喜びがあるように見てとれました。
僕の勘違いだったかもしれませんけど。
『人間万事塞翁が馬』の諺みたい。
ブラック企業勤めは悪いことばかりだと思ってたけれど、とりあえずでも家族が納得する金額のお金をもらえるという良いこともあった。
用意周到に会社を辞めたセミリタイア生活は良いことばかりだと思ってたけれど、景気の良し悪しがある以上はラットレースに参加してること自体が家族の安心材料で、稼ぎが無いのは悪いことである感じ。
物価高などで世の中の変化を感じるようになると、老後まで安泰な口座残高を見ても月々の収入が無いこと自体が不安という、不思議な感覚にパートナーはさいなまれてしまったのでした。
とは言いつつ、パートを始めたパートナーの現在は、話が合う同年代の(仕事)仲間や刺激がもらえる若い人や個性豊かな年上の人たちに囲まれてるとのことで前よりも明るくなり、何より自分の労働がお金に変わることにやりがいがあって楽しいようです。
対する僕は、主婦のプロだったパートナーが家に常時いない状態になったため、家で僕ひとりの時間が多くなればなるほど主夫は僕のようなバカでは務まらない気が日に日にしてきてました。
子供が居なければバカでも務まるかも?ですが、家事全般をやりつつ、子供のことや子供が通う学校のこと、子供にまつわる地域関係、町内関係などなど結構やることが多くて、そこに子供の習い事も加わると、日中いかに効率良く時間を使うかを模索する日々になりました。
家のことよりも外で仕事をしてる方がやることが限られてて、余程良いと思うようになったくらいです。
会社はブラック企業じゃないのが前提ですが(^^)
セミリタイアは十人十色だと思いますので、不幸か幸福かは、セミリタイア後の感じ方次第。
僕はお金があっても心から幸福と言い切れなくなりました。
主夫業にそのうち慣れて、パートナーのパート収入を「不労所得」みたいに思うようになり、歪な幸福感に浸れるようになるのでしょうか?
「口座残高がいくらあったら幸せか」ではなく、お金を継続して稼ぐこと自体が安心感をもたらしてくれるという考え・・・。
僕の考えは「セミリタイア生活に困らないお金があれば良い」というものでしたが、その考えは家庭内の個々の考え方の違いによってついに崩れました。
余談ですが、パートナーが勤めてるパートは、用事があったら絶対に休めて残業も任意、人間関係も良好で結構楽しい職場なのだとか・・・。
僕が勤めてたブラック企業は、子供の学校行事も病気のときも休みを完全に拒否られ、有給休暇はどうでも良い日にのみ消費させられてました。
毎日の残業地獄、上司や社長の暴言におびえながらの日々。
そんな僕のサラリーマン生活は一体何だったのか?
「給料は我慢料」という会社はとっとと辞めて、楽しい会社に再就職すべきでしたね(^^)