僕は数年前に会社を早期退職しました。
僕の場合は、何らかの優遇退職でも会社都合の「希望退職」でもなく、自己都合の退職でした。
なので、退職金もわずかでしたし元々の貯金に余裕がないので、今の生活は節約で成り立ってると言っても過言ではありません。
早期退職後はどう?と聞かれると、適度な節約生活の日々です(^^)
この節約生活をしてる早期退職のその後ですが、僕の場合、数年経ってお金使いたい病や物を買い換えたい病が治りました。
言葉の最後に「病」と付けてますが、買い物に行って欲しい物が無いのに何かを買わずにはいられないというのは病的であり、持ち物で新しいのが発売されたら買わずにはおれないというのも病がかってる気がするからです。
どこかの店でたまに見かけるお菓子やオモチャを買ってくれるまで泣き叫ぶ子供。
あれが大人になって自由に使えるお金を手に入れて、親という歯止めが無いので、欲しい気持ちに任せてお買い物を楽しむわけです。
ベストセラー本の『スマホ脳』という本で得たうろ覚えの知識で言うと、僕の場合は、物を買う行為にドバドバ出てた脳のドーパミンが、「節約」というものに対して出るようにシフトしたかのようです。
欲しいものが無いというのは言い過ぎかもしれませんが、以前は興味があった物でもあまり欲しいと思わなくなりました。
車やバイクは良い例で、最初は節約の観点から見て高額だから避けるようになっただけでした。
しかし、それらにお金をかけてる人たちがする、人に迷惑をかけるためにしてる不自然なお金のかけ方を見たり迷惑体験をしたりすると、節約のために避けてたところに拒否反応が追加されました。
話を付け加えると、僕の家の前の道路は、いつの頃からか、いわゆる抜け道になったようで、どこかの道が渋滞する時間になると「変なの」がたくさん通過します。
朝と夕方の通勤時間になると、ラリー好きやレース好きみたいな爆音改造車、バイクでは爆音のアメリカンや不思議な改造車が家の前を通過するのです。
それらの運転手は、標識の数字も読めないし、自分が乗ってる車やバイクが発する爆音も聞こえないくらい耳もおかしいし、ちょっとでも走行の邪魔になるとクラクションやアクセルをふかすことで怒りを表現してくるしで、良いことは全く無しです。
そんな「変なの」を毎日の朝夕に身近で見てると、僕は拒否反応を超えて、何か悟ったように「助かった」という気分にさえなります。
「助かった」というように考える理由は、それらの運転手が仕事などで頑張って稼いだお金を車やバイクの不思議な改造に注ぎ込んで、不思議な自己満足の果てにバブルがはじけるみたいにトラブルをおこしたり対物や対人の事故をおこすだろうと想像するからです。
僕も昔は車やバイクが好きでしたので、同じようにならなくて良かった、「助かった」と強く思うのです。
病が早期発見で治った感じですね(^^)
人それぞれ脳のドーパミンが出る対象が異なるので、不思議な改造を施した車やバイクを指さして笑うことはしないですが、人に迷惑がかかる行為とそうでない行為の見分けがつくようになったことを思うと、単細胞な頭の僕がした早期退職というものは、僕個人の人生にとって意味があったと思います。
会社を是が非でも早期退職したいという思いが「節約」をさせ、早期退職が実現したからこそ「節約」を続けてるのですから。
全ては脳のドーパミンが何に対して出るかのようです。
お金が溢れ出るくらい持ってる人は別として、お金を浪費する行為にドーパミンが出てる間は早期退職はおろか定年退職もヤバいことになるのだと思います。
僕が会社にいたときの同僚で「この会社にいたら〇〇(という車)が買えない」と言って辞めた人がいました。
僕がいた会社は安月給でしたので、その同僚が言う車は給料に見合わない高級すぎるものでした。
その同僚は、再就職した先でも同じことを言ってるか、わけあり中古車とかで夢を叶えてるかもしれません。
でも、60歳や70歳になっても働ける仕事はジャンルが限られますので、僕やその同僚のように《奇跡が起こらない限り安月給の会社勤めが関の山》というのはどこかで気づかねばならないわけです。
「手遅れになる前に趣味(嗜好?)を変える努力をしなければ大変なことになるよ」とはその同僚に言いませんでした。
夢の高級車に乗れたら人生悔い無し!
そのためには死ぬまで働き続ける人生、というわけですね。
ある意味充実してます。
体力を使わないデスクワーク的な仕事に就ければそれもありかもしれませんが、体力勝負の仕事にしか就けない人は60歳を超えるとキツいです。
僕が従事してた仕事は体力仕事でしたので、50歳を前に限界を感じて辞めました。
しかし、酒やギャンブルが大好きな50歳超えの同僚も居るには居ました。
その50歳超えの人や車好きの元同僚のその後を知りたい今日この頃です(^^)