最近、セミリタイアのネタで書いてなかったので、久しぶりに書いてみます。
僕は40代の後半にセミリタイアして、現在でセミリタイア期間が10年未満です(^^)
セミリタイアとは、残りの人生の必要資金を株投資やアルバイトをするなどでぼちぼちやっていけると確信を持った人の中で、勤めてた会社を定年前に辞めた人だと僕は解釈してます。
将来的にお金の不安が全くない状態になってから会社を辞めた場合は「完全リタイア」と言うみたい。
僕の場合、今の節約生活を個人年金の支払い開始の60歳まで続けれたらゴール(完全リタイア)決定ですので、それまでの心境はセミリタイアです。
サラリーマン時代に保険会社で個人年金を契約し、毎月ちまちまと銀行口座から引かれ、やーっと50歳を超えました。
支払い開始までやっと10年を切ったと思ってからやたらと長く感じます。
60歳まで資産を引き出せないiDeCoをやってる人と似た心境かも?です。
なので、60歳になるまでびた一文使えない契約なんて速攻で解約してしまいたいのはやまやまです。
しかし、解約で戻ったお金を元に株投資にスイッチした後の60歳は、天国か地獄かどっちなーんだい?と想像するのはすごく怖い。
人間50年も生きてると、身の丈に合わないチャレンジで墓穴を掘った人をたくさん見聞きしてるわけで、怖がり精神も時には役に立ってたと実感する結果のときがまあまああります。
株で万が一儲かっても購入する車の価格をワンランク上げるくらいが関の山なので、結局は保険会社任せの地味な個人年金が小心者の僕には心配要らずで良かったという結論でず。
あくまでも個人的な見解です(^^)
セミリタイアして楽しいのか?
セミリタイアして10年未満の僕の現在が楽しいのかですが、最近は結構「微妙」です。
なぜ微妙な感じなのかと言うと、セミリタイア生活に慣れきってしまい、日々の生活に目新しさがあまり無いので「微妙」なのです。
もちろんセミリタイアして10年くらい経過しても楽しくて仕方ないという人もいると思いますので、微妙なのは僕限定かもです。
セミリタイアすると、サラリーマン時代の休日の楽しみだった買い物や旅行は、行こうと思えば毎日可能なわけです。
でも、それはセミリタイアした最初の数年でやり尽くした感じがありまして、本当にしたかったことで言えば、実際には最初の1ヶ月以内で済んだかもしれません。
その後は、重箱の隅をつつく感じで「やりたかったこと」のやり残しを探したり、進行形で「やりたいこと」をすぐに実行して今に至ります。
サラリーマン時代に休みという休みがなくて、うっぷんが溜まりまくった末に会社を辞めたり定年退職した人は、たいていそうなると思います。
しかしながら、セミリタイア後は、サラリーマン時代よりも人付き合いが減るので、例えば新しいスマホに買い換えても誰に見せるでもないというか、自慢する相手が常に同じかそもそもいないかなので、購入意欲も徐々に減る感じです。
スマホを例にしましたが、人目を意識する衣服などは全般的に言えると思います。
旅行に関しても人によっては自慢するネタのひとつだろうと思うので、セミリタイアしたことで自慢できる相手がいなくなれば行く理由も薄れてくるかもしれません。
なので、買い物も旅行も充実させたい人は、セミリタイアせず、定年になっても仕事を続けるのが良いかもです。
これも個人的見解です(^^)
セミリタイアして後悔してるのか?
セミリタイアして後悔してるかというと、僕は全く後悔していません。
従事してる仕事は人それぞれの人生の成り行きの結果としての現在で、セミリタイアする人はするでしょうし、会社に必要とされてたりする人はセミリタイアしないでしょう。
後悔する人は、会社や仕事や良好な人間関係などに対して、何かひとつでも未練があったのに辞めた人だと思います。
僕の場合は、四半世紀も従事した仕事も上手くいかず、人とのコミュニケーションもどちらかというと苦手でした。
万年人手不足のブラック企業に勤めてたことで、辞めるに辞めれない異次元の引き留めの結果として四半世紀も勤めた感じです。
勤めてた会社を辞めるに至った理由を要約すると、万年人手不足のブラックな仕事環境にちらりほらりと入社して居着いた数少ない後輩たちに、幸運にも老害扱いをされて辞める決心がついた感じ。
後輩たちは、僕が嫌で嫌で仕方なかった(仕事上の僕の)立場というかポジションにめちゃくちゃ魅力を感じたようです。
大勢の前で僕があからさまな老害扱いを後輩から受けたこともありました。
当時、僕は、そのせいで胃薬が手放せなくなりましたが、冷静に考えれば考えるほど「これ幸い」と思えるように・・・。
「老害=(イコール)早く辞めろ!」と思いきや、僕がいざ辞めるとなったら、周りの人は、僕が人より多く給料をもらってたから辞めれるのだと、ヤバいくらいの想像力をはたらかせて接してきました。
そんなこんなで、ブラック企業から脱出し、念願のセミリタイア生活へ。
ちなみに、老害は本人が認めなければ老害じゃないかも?ですので、僕の気持ちの持ちようだったとも言えます(^^)
セミリタイアと無職は違う?
さて、僕は、ある年のある日、数十年勤めた会社を辞めて「無職」になりました。
気持ちの上では定年まで勤めるつもりでしたが無理でした。
会社を辞める準備としては、辞めてから年金がもらえる年齢までに必要なお金などを大まかに計算して貯めました。
と言うか、貯めた気でいます(^^)
綿密な計算をするよりもおおざっぱに多い目に計算してましたので、図らずも物価高騰はおおざっぱの範囲内にあります。
さて、会社を辞めた当時の心境は、とりあえずの生活資金を貯めてから辞めてるので、毎月の収入がなくなったことへの不安はありませんでした。
しかし、サラリーマンから「無職」になったということ自体が不安だったのです。
それは、当時は漠然とした不安で理解できなかったのですが、肩書きが無くなった不安だったということに最近気づきました。
僕は万年平社員だったので、社内で与えられてた肩書きが無くなって不安という意味ではないです。
一度も意識したことがなかった「サラリーマン」という肩書きから「無職」という肩書きになったとたん、すごい違和感を感じる不安になったのです。
例えるなら「無国籍」というか「根なし草」にでもなった感じでしょうか?
今では、勤めてた会社を辞めてサラリーマンに戻らず何かをするとしたら、「フリーランス」と言うかも?です。
厳密には税務署に登録するとかしないとかがあるかもしれませんが。
僕が会社を辞めたのはコロナ禍の前でしたので、当時はフリーランスという言葉は耳に新しく、僕的には「何かかっこいいかも」と思いました。
コロナ禍前は一般的じゃなかったと思うそのフリーランスの人は、コロナ禍でのリストラや自主退職がきっかけで、結構増えたんじゃないかと思います。
僕がサラリーマンを辞めた後、すぐに「フリーランス」という呼び名に当てはまることができたなら、僕は安心できたのだと思います。
何が言いたいかというと、僕のような人間は、何らかのカテゴリーに分類されなければ不安になる、ということです。
僕は、会社を辞めてからフリーランスの道も一応探りましたが、やりたいことがあって退職したわけじゃなかったので、熱は三日坊主で冷めました。
ネットで情報を集めたり図書館での関連本探しなどが三日坊主で終わり、未だに何の進展も無し。
フリーランスというのを知れば知るほど、稼げるネタが無いと将来的に不安なだけ、仕事をくれるところに所属すると振り回されるだけ、税金や何やかんやと勉強するのも面倒臭いだけ、という感じになりました。
僕はサラリーマンという会社任せの無知人間を四半世紀以上維持してたのですが、サラリーマン時代に給与明細をじっくり見た記憶がないので、勝手に引かれてた「所得税」だの「住民税」だのという言葉も僕の頭では理解しがたくて、結局は拒否反応&放心状態へ。
現在、毎年の住民税申告へは行ってるという意味では、全く理解してないわけじゃないかも?です(^^)
話を戻しますが、セミリタイアという言葉をブログのランキングサイトの《ブログ村》で知って、ランキングのトップ10くらいに入ってるブログを毎日のように拝読してました。
それらのブロガーさんは、株で儲かってる人もいれば、アルバイトをしてる人、僕のように特に何もしてない人など千差万別でした。
そうして、毎日のようにリタイアやセミリタイアという言葉に接するうち、「無職」=(イコール)「根なし草」という不安な感覚が消えて、自分は「セミリタイア」なんだと思うようになったのです。
セミリタイアとは、特にどこにも所属せず一応自己責任で生きてる人、とも付け加えることができると思います。
「僕は無職です」と誰かに言うと、所持金無しの住所不定無職まで想像されてしまいそうですが、セミリタイアと言うと(たいていの人には意味不明に聞こえて)何だかやり過ごせる気がします。
でも、本当に、僕はこのセミリタイアという言葉に出会えて精神が安定しました(^^)