あおり運転をされたことを数日前のブログに書いたのですが、それについてまた書きたくなったので書くことにしました。
さて、個人的には、あおり運転と言われる運転は過去に何度かされてます。
車載カメラや街の防犯カメラが無かったときは、証拠が「目撃者の証言」や「被害者の証言」や「我にかえって反省した加害者の正直な証言」であり、誰の目から見ても加害者のやりたい放題でした。
で、今回、僕は完璧な証拠となる映像が記録されたSDカードを警察署へ持参して警察の人に見てもらったわけです。
警察署で警察の人に話を聞いてもらった日は、胸の支えが取れた(下りた?)感じで、警察の人の言葉に納得した気でいました。
話を聞いてくれたことへ感謝の気持ちもあったくらい・・・。
しかしながら、今は腑に落ちない心境です。
そんな僕の心境は、あおり運転する行為が厳罰化されたかもしれないけど、厳罰化ゆえに処罰に値するかの判断が慎重ということに不満ということ。
誰が見ても明らかにあおり運転である証拠を警察の人に見せたというのに、「映像で車を特定できてるので運転手の特定とその人への注意をする」という答え。
厳罰に処すにはあおり運転の内容が足りない、みたいな。
僕や同乗してた家族に対する暴力行為が無かったから「足らない」のか?
捕まえるに至らないあおり運転という判断に納得ができません。
ちなみに、今回の件は、僕が普段使いしてる道路での出来事です。
あおり運転をしてきた加害者の車に車載カメラがある可能性は否定できませんので、「次からしちゃダメよ」的な注意で済んだ日には、加害者はどういう行動に出るか。
車の運転中に前を走る車が遅いということで感じたストレスをその場で発散させようとするような人です。
家族が同居してた場合、警察官が家まで来て注意したことを重く受け止めて、加害者に過ちを諭すはずです。
しかし、加害者の人は、「チクられた」と感じたストレスをすぐに攻撃に転嫁するかも。
せめてちゃんと捕まってくれたら、「あおり運転は本当に厳罰化されてたんだ」と、拘束という反省する時間で頭を冷やす可能性は無いことはないのに。
加害者が警察から解放された後の行動を考え始めれば、こちらがウツになりそうなものですが、加害者が捕まって初めて被害者は達成感を感じるというか、安心感を感じるというか、胸の支えが取れるのだと思います。
今回、僕は未だにあおり運転をする人がいることに驚きました。
まだいるの?と。
ちなみに、僕の車の後ろには、「車載カメラで後方を撮影してます」みたいな、結構目立つ大きさのシールが貼ってあるんです。
撮影されてるのにやるか?普通?
注意だけという見かけ倒しの厳罰化にガックシでした。
僕的には怖いもの見たさで注意してもらう気満々でしたが、家族あり、引っ越す余裕なしの一軒家暮らしという理由で、パートナーから反対されました。
実は、警察署へ行って車載カメラの映像を見せるのもパートナーは反対でした。
まぁ、そんなわけで、乗る車は、自分が乗りたい(運転したい)車に乗るんじゃなくて、どんな人が運転してるか判別できない、怖い人が乗ってるかも?という車種を選ぶのが正解なのだと思わせられる次第です。
ただ、そんな車を選ぶことによって自分の人格が変わり、気が大きくなってあおり運転をする側の人になる可能性を否定できない人には強面の車は向きませんけど。
あおり運転された動画を警察に見せたこと
僕は、あおり運転されたときの車載カメラの動画を警察の人に見せる前に、パソコンで画像をチェックしました。
パソコンで見た限りでは、音声は入ってないと思ってたのですが、警察の人が見た際は音声があったそうです。
なぜ、警察の人とそんな会話になったかというと、僕があおり運転をしばらくされた後に路肩へ停車する際の車内の会話で、パートナーが「停まらなくて良い」、僕が「いや、路肩に停車する」という会話が聞き取れたとのこと。
それを元に、僕の行動が正解だったと警察の人が言ったからです。
何が言いたいかと言うと、あおり運転された証拠となる車載カメラの動画を僕のように警察の人へ見せる場合、こちらの会話も警察の人に聞かれる可能性があるということ。
あおり運転されてるとき、もしも僕が「あおり運転なんか、やらせとけばいいよ」みたいな発言をしてたとしたら、僕が被害者だとしても警察の人からの印象はよくない気がします。
あおり運転をされた際は、真面目な会話&運転で、どう行動するかが最良なのかの判断が必要だと思います(^^)
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