漫画家の鳥山 明さん死去。いつ?なぜ亡くなった?僕の思い出話など

漫画家の鳥山 明(とりやま あきら)さんがお亡くなりになったとのことです。

 

 

2024年(令和6年)、3月1日、68歳、急性硬膜下血腫(きゅうせいこうまくかけっしゅ)で死去とのこと。

 

 

僕は、3月8日の午後に知りました。

 

 

このブログを書くにあたり、『少年ジャンプ』のホームページを見たところ、そこに掲載されていた『株式会社バード・スタジオ』と『株式会社カプセルコーポレーション・トーキョー』の連名のコメントで2024年3月8日に公表されたという日付を確認できました。

 

 

そのコメントによると、葬儀は、弔問、香典、供物、献花などを辞退したもので、近親者のみで執り行われたとのこと。

 

 

 

鳥山 明さんの作品はたくさんありますが、代表作は『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』。

 

 

ゲームの『ドラゴンクエスト』のキャラクターデザインをされたことでも有名です。

 

鳥山 明さんの作品の思い出など

 

僕の個人的な思い出話です(^^)

 

 

漫画『Dr.スランプ』は、アニメの『Dr.スランプ アラレちゃん』を観始めてから読みました。

 

 

漫画の単行本は、当時行ってた散髪屋で読んだり、本屋で新刊を見かけたらジャケ買いしたり・・・。

 

 

アニメの『Dr.スランプ アラレちゃん』は、再放送とかではない初回放送の1話目から観ました。

 

 

主題歌は今でも歌えます。

\(^-^)/

 

 

漫画『ドラゴンボール』は、漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』の連載の記念すべき第1話目から読んでましたし、単行本も発売日に買ってました。

 

 

しかしながら、アニメ『ドラゴンボール』は、個人的に漫画やアニメから離れた時期にあたるからか、アニメを観た記憶がほとんどありません。

 

 

なので、アニメ『ドラゴンボール』の放送の頃には漫画『ドラゴンボール』からも離れてたのだと思います。

 

 

ところで、鳥山 明さんのくっきりハッキリ、メリハリのある絵が大好きで、自分も漫画家になりたいと思って描いてた時期があります。

 

 

漫画家になりたいという漠然とした気持ちはあってもガチで描こうとしてたわけじゃないと思うのですが、ストーリーやキャラクターデザイン、コマ割りなどなど、描こうとすればするほどその難しさに天才しかできない仕事だと痛切に思わせられた記憶があります。

 

 

何かにつけて三日坊主の僕でしたので、学校の勉強など、生活の中の何かが忙しくなった頃には、漫画家になりたいようなことはすっかり忘れ去ってたものと思います。

 

 

鳥山 明さんは生まれも育ちも愛知県とのこと・・・。

 

 

僕は仕事の都合で地元を離れて愛知県に根付きました。

 

 

愛知県に住み始めた頃の僕は、「鳥山 明さんと同じ県に住んでるんだ(^^)」と、ふと思うことがありました。

 

 

田舎に帰省した際、家族や友人に「あの鳥山 明の近くに住んでるんだ」と自慢げに言ったものです。

 

 

もちろん、愛知県のどこにお住まいか詳しく知りませんでしたが・・・。

 

 

でも、同じ県に住んでると、鳥山 明さんにまつわる伝説を知ってる人が身近にいたりして、鳥山 明さんの話題や『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』の話題になったときには、めちゃくちゃ楽しませてもらいました(^^)

 

 

僕にとっての鳥山 明さんは、同じ時代に生きていて良かったと心から思う人の中の一人。

 

 

68歳、早すぎる訃報でした。