セミリタイア(早期退職)後の価値観

前回、昔やってたアルバイト先にいた人を、「どんな趣味であっても楽しむお金の余裕が無かった」人と書きました。

そして、今の僕はそれと同じなんだと。


お金に余裕が無いとお金が必要な趣味を楽めないのは確かです。

でも、僕は、セミリタイアして考えが変わったのと、出不精の50歳超えの体力的な問題もあって、テレビで羨望の眼差しで見られる富裕層の生活や、背伸び感がハンパない中間層を見ても気持ちが動かなくなってます。


昔は友人が自分が持ってる物よりも良い物を買っただけで羨ましいやら妬ましいやら、という心境でしたが。


今は、「夏草や兵どもが夢の跡」の心境とでも言うのか、バカなりに世の中を見通してしまったかのようなしらけた心境です。

この心境を説明するのは難しいのですが、新旧問わずほぼほぼ全ての物に対して感じます。


新しい物は、例えば、車やバイクはガソリンを使うというだけで、どれだけカッコ良くした最新型でもしらけます。

観光地化させた建物や廃墟、名車と言われる乗り物にもしらけを感じたりします。



休みもまともに無かったブラック企業勤めのときに心底行きたかった観光地は、セミリタイアして落ち着いた今、これっぽっちも行きたいと思いません。


最初はお金に余裕が無いのが原因だったかもしれませんが、徐々に価値を見出だせなくなったのです。


実際に現地に行くなどの経験は大事だと思います。

でも、トイレに入るだけで金を払わないといけない海外の観光地とか、スリ被害などの犯罪が多いところなど。


100円ショップで買えるような物を、なぜ1000円や1万円を出して買う必要があるのか?みたいな。


技術が伴わない物を、デザインや上手な宣伝でもって1桁も2桁も上の金額で販売してるように見えて仕方ない製品とか。


「名物に旨い物なし」ということわざ通りだったり、有名な土産をもらって期待を裏切る「旨い物なし」ぶりだったり。


仕事を辞めて世の中の歯車から外れた気分になると、僕のようなバカでもバカなりに自分の過去を振り返り、世の中を理解しようと努力してたりします。


僕の今後のセミリタイア生活は、個人的な価値観の独り言で言うと、宮沢賢治さんの『雨ニモマケズ』的な価値観を目指す予感がします(^^)