セミリタイア(早期退職)と運

セミリタイア(早期退職)後の僕は、暇なときはボーっとしてることが多いです。

 

 

そんなときはたいてい過去を振り返って、なぜ自分はこのような現在でいるのか?を考えるともなく考えたりします。

 

 

頭の良い人がたくさんいるので、世の中のことはあれもこれもそろそろ結論が出ても良いと思うのにちっとも出ません。

 

 

「あれもこれも」とは、絶対にうまくいく平和な政治とか科学の進歩が完成(完結?)するとか。

 

 

それと同じで、個人の生活で簡単に思えるものでも時と場合があって、完璧なマニュアルは無いと感じます。

 

 

セミリタイアしてみると、定年退職(60歳くらい)が人生の標準化されたマニュアルみたいなものと思ってたのがあっさり崩れ去りましたし。

 

 

それは、個人の考え方や感じ方の違いと現在進行形の現実だけが存在するのだと思います。

 

 

セミリタイアを「やっちまった」と悪くとらえるか、「よくやった!」と自分をほめるか・・・。

 

 

難しいことはよくわからないですが、結局のところ、運とはただ単に「個人的な考え方や感じ方」です。

 

 

セミリタイアして、ふと我に返ったように現実を客観的に見た際に、現状を良しとするか悪とするかは「個人の考え方や感じ方」次第。

 

 

最近、漫画家の水木しげるさんの漫画ではない本をいくつか読んでるのですが、僕のようなショボい人生の悩みや喜びの原因が何となくわかった気になりました。

 

 

水木しげるさんは戦地で片腕を失ったわけですが、「腕を失くしたから生きて帰ってこれた」とポジティブな考えとして語ってました。

 

 

当時そう思ったか後々かは本人にしかわからないことです。

 

 

僕が同じ目にあったとしたら、水木しげるさんのように絵が上手かったとしても、明日のことなんて考えれなかったでしょう。

 

 

でも水木しげるさんは大成功されてます。

 

 

これが運の正体だと思います。

 

 

「個人的な考え方や感じ方」、それだけ。

 

 

前向きというだけじゃない、楽観というだけじゃない考え方や感じ方。

 

 

泣かず飛ばずの生活のときも、普通の人なら現状を変えようとしてやめちゃうような感じなのに、やめない。

 

 

そもそも続けるとかやめるとかの時限を超えた楽しさと苦痛に身を置いて日々を送る。

 

 

そして、その「個人の考え方や感じ方」を貫いた先に成功があったわけです。

 

 

セミリタイアしたからどうというわけはなく、セミリタイア後に成功とは無関係なことでも良いので続けていくことができるライフワーク的な何か。

 

 

それと自分的にポジティブな「個人的な考え方や感じ方」が備われば、セミリタイアした自分は運が良かったと思うわけです。

 

 

セミリタイアするとセミリタイアに対する否定的な雰囲気を感じることが多いせいか、自分は運が良いのだと自分自身を肯定したくなります。

 

 

僕だけかな?

 

 

バカな頭で書いてるので支離滅裂かも(^^)